「最後まで見てくれ。頼むから、スワイプしないでくれ」
画面の中の男がそう言い終わる前に、僕の親指は動いていた。
次の動画は、猫だった。
深夜二時。眠れない夜は、ショート動画を流しっぱなしにする。
笑える動画、泣ける動画、知らない誰かの日常。合わないものは、指一本で消える。
翌朝、駅前でビラを配っている女の人がいた。
〈この人を探しています〉
写真の男は、昨夜の動画の男だった。
偶然だと思った。
その夜、試しに料理の動画を一本、途中で飛ばした。
翌朝、隣の部屋の奥さんが帰ってこないと、管理人さんが騒いでいた。
動画の中の花柄のエプロンを、僕は回覧板を届けたときに見ていた。
それから、スワイプできなくなった。
どんなにつまらない動画も、最後まで見た。次が始まるまで、息を止めて待った。
一本、また一本。朝になっても、フィードは終わらなかった。
会社を休んだ。食事も、画面を見たままとった。
僕は、充電器のコードが届く範囲でしか生きられなくなった。
二日目の明け方、一度だけ寝落ちした。
目を開けると、親指が画面の上で止まっていた。
履歴の一番上に、縁側でお茶を飲む女の人の動画があった。最後まで再生されていなかった。
実家の縁側だった。
スマホが震えた。父からの着信だった。
僕は出られなかった。電話に出れば、今流れている動画が止まる。最後まで見られなかった誰かが、また消える。
三日目の夜。
流れてきた動画に、見覚えのある部屋が映っていた。
散らかった机。積み上がったカップ麺。ベッドの上で、スマホを握りしめている背中。
僕だった。
振り返った。誰もいなかった。
ただ、見られている、という感覚だけが残った。
画面の向こうで、知らない誰かの親指が、今にも動こうとしている。
僕は、見えない誰かに向かって、声を絞り出した。
「最後まで見てくれ。頼むから、スワイプしないでくれ」
